ホニアラ付近の沈没船スポット
いきなりですが、ソロモン諸島の観光名所ときいて、みなさんはなにを思い浮かべますか?美しい海でしょうか、それとも自然豊かなジャングルでしょうか?実はソロモン諸島には雄大な自然以外にも、歴史を目の当たりにできる場所があります。アイアンボトム・サウンドと呼ばれている、首都ホニアラがあるガダルカナル島北西の海です。
と、ここでクイズです!
アイアンボトムサウンドが表す場所とはどんなところでしょう?
1かつての鉄の採掘場
2ソロモン最大の金属製宝飾品の市場
3多くの艦船、航空機の沈む海底
4金管楽器のストリート演奏の聖地
正解は、、、3番です!正解された方おめでとうございます!
今回は首都ホニアラ周辺の沈没船スポットについて紹介したいと思います。
アイアンボトム・サウンド(鉄底海峡、英語: Ironbottom Sound)とは、「第一次ソロモン海戦」や「サボ島沖海戦」これらの激戦地で多くの艦船、航空機が沈み、海底に多数の残骸が残ったことから称されるようになりました。かの有名な戦艦「霧島」や「比叡」もここに眠っています。
ホニアラはこの海に面しているのですが、その沈船の迫力と、冒険心をくすぐるスリリングな光景に魅了され、多くのダイバーがここを訪れるようになりました!今ではレックダイビングが盛んなスポットとなっています。
そのスポットの一つにボネギ・ビーチ(bonegi beach)があります。ビーチピクニック用の設備があり、お弁当やバーベキューセットを持参してのんびりすることもできます。このボネギ・ビーチでは日本の輸送船であった「鬼怒川丸」が眠っています。「鬼怒川丸」は、ガダルカナル島で日進が物資輸送を行ったタサファロング海岸で座礁しながらも強行輸送した大型高速輸送船です。1942年11月15日未明、「鬼怒川丸」等の輸送船は猛烈な攻撃の中、物資を届けるため決死の覚悟で海岸へ突き進んだそうです。この「鬼怒川丸」は一部水面から顔を出しているところがあり、地上から間近に見ることができます。
観光局では、「鬼怒川丸」の動画も配信しています。ぜひご覧ください。
もう一つのスポットとして、アイアンボトムサウンドに面したフロリダ諸島にあるツラギ島を紹介します。ホニアラからスピードボートで片道約1時間ほどで行くことができます。ツラギは戦前まで植民地政庁が置かれていたところであり、車は走っておらず、非常にのどかな島です。
ツラギの沖には日本軍が水上機の基地としたガブツ島(Gavutu)とタナンボコ島(Tanambogo)があり、さらに入り江をボートで30分ほど行くと、マングローブに覆われた「トウキョウ・ベイ」と呼ばれる湾で駆逐艦「菊月」を見ることができます。「菊月」は大正生まれ最後の駆逐艦で、護衛艦や支援艦として活躍していました。艦名は陰暦9月のことをいい、この名は海上自衛隊の「きくづき」に継承されています。しかし、1942年5月4日に珊瑚海海戦の前哨戦で撃沈されてしまい、今に至ります。地球温暖化によって海面が上昇し、「菊月」は年々海面下に沈んでいってしまって風化が進んできています。2020年6月27日に第四砲身は舞鶴市森の彌伽宜神社(大森神社)に奉納されたそうです。この砲身は現在神社の境内に設置されています。
また、米軍の輸送艦LST342という沈船も菊月があるトウキョウ・ベイで見ることができます。菊月との距離は1キロほどです。LST342は1943年7月18日に、日本の潜水艦Ro-106の魚雷を受けて沈没してしまいました。船尾は一瞬にして沈んでしまいましたが、船首は辛うじて残り、今の場所へ使用可能な物資を確保するために移されたそうです。菊月も、米軍が今の場所へ移したそうです。船首はこの場所で一時期艦隊の郵便局として使われました。
実はクルーズ船も眠っています。こちらはンゲラ諸島(フロリダ諸島の別称)の岸にあります、クルーズ船ワールドディスカバラー号です。
2000年にソロモン諸島の岩礁に乗り上げて座礁したものがそのまま残されています。このように戦艦だけではなく、クルーズ船も見ることができます!詳しくはぜひこちらの記事もご覧ください!
いかがでしたか?沈没船を見ていると、この船が活躍していたころや、それに乗船していた方々とその船にまつわるドラマなどに思いをめぐらせることができます。それがより沈船の景色を魅力的にしているのかもしれませんね!また、太平洋戦争の慰霊巡拝をしに訪れる方々も多くいらっしゃいます。戦艦などの沈船は、わたしたちに戦争の歴史、平和の大切さを伝えるシンボルでもあります。
これらの沈船スポットに魅了された方々、ぜひソロモン諸島に足を運んでこの壮大な景色をその目に焼き付けて下さい!
(文/西浦理佐、編集/馬場千智)
参考文献
https://www.asahi.com/articles/ASJDF512VJDFPTIL01C.html
https://twitter.com/solomon_japan/status/1256925127427547136?s=20
https://twitter.com/ishinori/status/1033792200901947392?s=20
http://www.asahi.com/special/gallery/senkano_zankyou/sea1.html
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/292653
https://en.m.wikipedia.org/wiki/USS_LST-342
https://twitter.com/kikuzuki_hozon/status/1270921137694707712?s=20
https://pic.or.jp/ja/wp-content/uploads/2018/06/fc88e78a227b2c780ed317c94b4e218a.pdf
地図
ソロモン諸島の共通語、ピジン語の歴史
Halo! みなさんこんにちは!
ソロモン諸島で使われている言語を知っていますか?
ソロモン諸島の公用語は英語ですが、共通語は砕けた英語であるピジン語です。
(※ピジンとは言語の区分を指すこともあり、異言語間の意思疎通のために作られてきた言語の種類のことをいい、世界中にありますが、本記事のピジン語は、ソロモン諸島の公用語のピジン語です)
それでは突然ですが、本題に入る前にクイズです💡
- ピジン語で「水」は何と言うでしょう?
①マジ
②ワタ
③ワイ
④ミズ
答えは後ほど...
下の画像の右上部分にはピジン語が使われています↓どことなく英語に似ていますね...!
簡単なピジン語のあいさつやフレーズはこんな感じです↓
おはよう Monin(モニン) こんにちは Halo(ハロ) じゃあね、またね Lukim iu(ルキム ユ) いくらですか? Haomas(ハオマス) 了解! Set!(セット!) これをお願いします des wan please(デス ワン プリーズ) |
英語に似ているものもありますが、発音はカタカナ発音なので日本人のみなさんは馴染みがあるのではないでしょうか✨かわいいですよね(笑)
ぜひソロモン諸島のピジン語を日常生活で使ってみてください(笑)
今回はそんなピジン語の歴史を紹介したいと思います🇸🇧✨
ピジン語の起源は、19世紀頃に行われていた太平洋貿易の専門用語にあります。
この初期のピジン語は19世紀後半のプランテーション時代に発展していきました。この時代にはオーストラリアのクイーンズランドなどへの労働力調達が行われ、 プランテーションでは、ピジン語が同じ言語を持たないメラネシア人労働者や、メラネシア人とヨーロッパ人監督者との間で話される共通語として発達しました。 そして契約が終わったソロモン人や1904年以降労働力調達が禁止されて本国に送還されたソロモン人がピジン語をソロモン諸島に持ち帰ったのです。(労働力調達について詳しくは過去の記事「ソロモン人の暗い歴史 ブラックバーディング」へ)
イギリス植民地時代には人の移動や交流によりピジン語が発展するとともに話者も増えていきました。ソロモン諸島がイギリスに併合されると、ピジン語は現地の人々がイギリス人の植民地将校や民族や言語が異なる他のソロモン人と交流するための手段となりました。
また、プランテーションによってソロモン諸島の経済が発展し、ピジン語はその中での共通語として発展していきました。 プランテーションでは多くの労働者が必要であったため、様々な島から人材が集められ、ソロモン諸島の人々はプランテーションと地元を行き来するようになりました。その結果、プランテーションの労働者や監督者にピジン語が広まり、往来や移住を経て何世代にもわたる人々がピジン語に触れ、ピジン語の話者人口は増えていったのです。
第二次世界大戦を経てピジン語にさらに英語が融合されていきました。第二次世界大戦中、アメリカ軍がソロモン諸島に上陸すると、多くのソロモン人男性がソロモン諸島労働隊や英領ソロモン諸島保護国防衛軍などの軍隊に入隊し、ソロモン人兵士はピジン語や時には英語でアメリカ人兵士とコミュニケーションをとりました。 この時期から、アメリカ人が話していた英語との接触から、ピジン語により英語の要素が加わったのです。
人間が時間とともに変化していくのと同じように、言葉も絶えず変化していくものなんですね。
それでは現代におけるピジン語はどうなったのでしょうか?
先ほど述べたように、ピジン語は19世紀の労働力調達に起源をもつため、当初は男性が主に使用しており、女性や子供はあまり使用していませんでした。しかし、都市化が進み、初等教育が普及し、現金経済が発達・強化し、交通網が発達して村々とピジン語を話す主要地域である首都ホニアラとの間を行き来できるようになったことで、男性だけでなく社会の全ての構成員がピジン語を使用するようになりました👨👩👧👦
そしてピジン語はその後も発展を続け、ソロモン諸島の主要な言語となりました。
ピジン語は現在、ソロモン諸島の全域で話されています。また、辞書やピジン語訳の聖書はありますが、ピジン語はほとんどが話し言葉であり、文法を標準化するにはいたっていません。
ちなみに、同じメラネシアの国であるパプアニューギニア(地図左上)ではトクピシンが、バヌアツ(地図中心)ではビスラマが公用語となっています。
いかがでしたか?
このようにピジン語はソロモン諸島の歴史に大きく影響を受けています。ぜひこの機会にソロモン諸島の歴史にも興味を持っていただいて、過去の記事も読んでみてくださいね!
ちなみに、クイズの答えは「②ワタ」でした!ちなみに①はスワヒリ語、②はハワイ語、④は日本語です。正解できましたか?
ソロモン諸島政府観光局公式Twitterではピジン語のクイズや#ジブリで学ぶピジン語も発信しています!
#ジブリで学ぶピジン語
— ソロモン諸島政府観光局(公式) (@solomon_japan) 2020年11月2日
みなさま既にご存じのように、
ピジン語はくり返しがち。
「走る」も、例にもれず
🏃🏃🏃ランラン🏃🏃🏃
といいます(笑) pic.twitter.com/eI524W82aI
ピジン語で「刺す」はポッケム‼️といいます。ぽっけむ‼️ pic.twitter.com/q3TsJNVMJT
— ソロモン諸島政府観光局(公式) (@solomon_japan) 2021年3月11日
ぜひチェックしてみてくださいね。
それではみなさん、Lukim iu!(またね!)
(文/村上和、編集/馬場千智)
〈参考文献〉
SOLOMON ISLANDS PIJIN "A Brief History"(参照2021-03)
https://solomonislandspidgin.com/a-brief-history-of-solomon-islands-pijin/
Solomon Islands Historical Encyclopaedia 1893-1978 "Solomons Pijin English"(参照2021-03)
https://www.solomonencyclopaedia.net/biogs/E000299b.htm
〈画像〉ソロモン諸島政府観光局日本事務所は以下の画像を所有しません。
Scott Zona, “pidgin sign in Solomon Islands”, flickr, https://www.flickr.com/photos/scottzona/3678103937
World Fish, "Youth collecting sea cucumbers in Solomon Islands.", flickr,
https://www.flickr.com/photos/theworldfishcenter/32345786627
"I was present for the Solomon Islands Independence Ceremony on 7 July 1978", Arbil44, Wikipedia Commons
"File:Melanesia regions map.png", Peter Fitzgerald, Wikipedia Commons(編集/村上和)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Melanesia_regions_map.png
ソロモン諸島の世界遺産 東レンネル
東レンネルは、ソロモン諸島の南の端に位置するレンネル島の一部です。レンネル島は、ソロモン諸島のレンネル・ベローナ州で最大の島ですが、実は島すべてがサンゴ礁でできているんです。東レンネルは、サンゴの環礁が隆起してできた世界最大の島なのです!1998年にソロモン諸島では唯一の世界遺産に登録されています。
東レンネルの最大の魅力の一つは、島面積のほとんどを占めている汽水湖・テガノ湖の存在です。汽水湖・テガノ湖は太平洋エリアでは最大級の湖として知られており、湖面にはなんと200種類を超える野生の鳥が生息しています。様々な鳥だけでなく、クロッカーウミヘビなどの珍しい生物も生息しています。
また、テガノ湖は湖でありながら海水と淡水が入り混じっており、その水を舐めると、海水のようにしょっぱいのだそう!海水が混じっているため、「湖のどこかで海と繋がっているのではないか」と言われていますが、実はその詳細は解明されていないのです。。。この島の研究をする専門家は非常に少なく、まさに東レンネルは南太平洋に浮かぶ秘境と言えますね。
このように島独自の生物や地形、美しいサンゴ礁などの魅力を知ると、東レンネルが世界遺産であることも納得ですね。
しかし近年では、島の西側で森林伐採や採鉱による環境破壊が進み、残念なことに東レンネルの生態系が脅かされているんです。国際自然保護連合(IUCN)も、世界遺産の評価基準である「顕著な普遍的価値(Outstanding Universal Value)」が東レンネルで失われてきていることを懸念しています。東レンネルは、ソロモン諸島唯一の世界遺産登録地であることを踏まえても、こうした島の自然破壊は非常に悲しいですね。
ソロモン諸島政府としても、東レンネルの環境問題に対して危機感を持つようにはなっていますが、様々なリソースの不足もあり、まだまだ具体的な行動ができている状態にないのが現状です。
(文・高松優至、岡野奈々)
〈参考文献〉
・"ソロモン諸島の世界遺産一覧". 世界遺産オンラインガイド. https://worldheritagesite.xyz/east-rennell/ (参照2021-02-16)
・”特集『太平洋の秘境!水中洞窟のナゾ』” 2016年5月8日放送記事
https://www.tbs.co.jp/heritage/2nd/feature/2016/201605_01.html (参照2021-02-16)
・”太平洋の秘境にある世界最大のサンゴ礁野島。世界遺産、東レンネル” skyticket観光ガイド 2020年11月25日 https://skyticket.jp/guide/112671(参照2013-02-16)
・”ソロモン諸島東レンネル危機遺産に行ってみた”. Journey. https://yuuma7.com/ソロモン諸島東レンネル危機遺産に行ってみた/ (参照2021-02-17)
・"East Rennell". IUCN World Heritage Outlook. https://worldheritageoutlook.iucn.org/node/1087 (参照2021-03-28)
ソロモン諸島への日本の援助の歴史
今回は日本からソロモン諸島への援助の歴史を紹介します🇸🇧🇯🇵
これまで日本は、ソロモン諸島が独立する1年前の1977年から無償資金協力や技術面での協力を通じて、ソロモン諸島の発展に貢献してきました✨
現在、日本はオーストラリアやニュージーランドなどとともに主要援助国の一つとなっています😲
日本は1978年のソロモン諸島独立後、直ちに国家承認をし、青年海外協力隊派遣取極を締結しました。79年に初めてソロモン諸島に派遣されマライタ州アウキ水産センターで活動を始めた2人を皮切りに、2020年9月までには430人もの青年海外協力隊がソロモン諸島に派遣されています。現在でもJICAはソロモン諸島の共通語であるピジン語で「より良い未来を創るために共に暮らし共に働く」という意味の、”Live tugeda Waka tugeda Fo Bildim Gudfala Future” というモットーのもとで保健医療、教育、環境、産業振興などの面で協力を続けています🤝
また、1978年には日・ソロモン漁業協定が締結されました。この協定によって毎年、「日・ソロモン漁業協議」が開催されるようになり、ソロモン水域内で操業する日本の漁船の操業条件などを協議しています。また、民間における漁業協力についての意見交換を通じて友好関係を強化しています。80年代にはソロモン諸島に貨客船を2隻寄贈しました⛴
その後、在ソロモン諸島日本大使館や在東京ソロモン諸島名誉領事館が開設されソロモン諸島と日本の関係の拠点ができました🙆♀️
91年には教育・医療施設の建設や給水施設の整備等を行う、草の根・人間の安全保障無償資金協力を開始しました。この協力制度は、NGOや公共団体、教育機関や医療施設など向けに、比較的小規模の事業のために資金を援助するものです。
さらに、90年代にはホニアラと中央市場の整備のために無償資金協力を行いました。
96年には、ソロモン諸島唯一の国際空港であるホニアラ国際空港の整備計画として、国際線旅客ターミナルビルや誘導路の新設を援助し、98年にはルンガ地区電力開発計画を実施して、電力の安定供給のために設備の支援を行いました。国際空港の整備計画は主要産業が農林水産業のソロモン諸島が観光業に力を入れていくための重要なスタートとなったのではないでしょうか。
2000年代に入ってからも日本は無償資金協力として、「ホニアラ電力供給改善計画」、「ガダルカナル島東部橋梁架け替え計画」、2007年の地震によって被害を受けた医療機関への援助や医療サービスの提供拠点の支援を行う「ギゾ病院再建計画」、取水施設の改善や新規水源の確保、給水施設への技術支援などを行う、「ホニアラ市及びアウキ市給水設備改善計画」、これらにそれぞれ億単位の資金援助を行いました。
2008年には技術協力協定を締結してさらなる国家間関係を深めていきました🌱
それ以降も、日本は無償資金協力として、防災ラジオ放送網の改善、ホニアラ港の施設改善、ククム幹線道路の改善を行ってきています。
ところで、みなさんは太平洋・島サミットをご存知ですか?
このサミットはミクロネシア・メラネシア・ポリネシアの国々と日本が関係を強化する目的で1997年に初めて開催され、以降3年ごとに開催されているサミットです🌐
日本はこれらの国々に対して草の根レベルでも支援を多く行っています。一方で、日本も、これらの親日的な国々から東日本大地震の際にはお見舞いや支援物資、メッセージをもらう等、支援をもらった経験があります💖
このように、ソロモン諸島と日本には長い助け合いの歴史があるのです☘
(文/上田悠奈、編集/高松優至)
参考資料
https://www.jica.go.jp/solomon/office/activities/volunteer/ku57pq00001zbq8s-att/volunteer.pdf
http://www.ofcf.or.jp/activities/exchange.html
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/kaigai/human_ah/index.html
https://www2.jica.go.jp/ja/evaluation/pdf/2009_0961790_1_s.pdf
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol127/index.html
https://www.jstra.jp/html/PDF/research2017_07_02.pdf
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ps_summit/index.html
ソロモン諸島のお土産【ヌズヌズ】
みなさん、ヌズヌズってご存知ですか?
ソロモン諸島の神様です。
こんな顔をしています。迫力がすごいですね。
別名として、ムスムス、トトイスといった名前もあるようです。
今となってはお土産や民芸品として人気のヌズヌズですが、元々はどのような背景で使われていたのでしょうか?
今回はそんなヌズヌズの歴史について見ていきたいと思います!
いきなりですが、本題に入る前にクイズです!ソロモンで信仰されている水の霊の名前は次のうちのどれでしょうか。
1、アソコ
2、カソコ
3、ヘソコ
4、ケソコ
答えは後ほど!
さて、ヌズヌズが用いられたのは19世紀から20世紀にかけてだと言われています。
「ソロモンと言えば!?」そうです!海ですよね!大海原を移動する彼らにとって、カヌーはとても重要でした。ヌズヌズはそのカヌーの先端に取り付けられていました。といっても、ただのカヌーではなく、戦闘用カヌーに取り付けられていたと言われています。ちなみに、この戦闘用カヌーのことを「トモコ」と呼ぶらしいです。
これが「トモコ」です。カヌーの両端が突き上がってるのが特徴です。
当時のソロモンでは首刈りを伴う激しい部族間の闘争が行われていました。相手の首を刈りに行くのですから、当然命がけの闘争ということになります。そんな危険極まる他島遠征の成功を保証する為に、トモコの先頭にヌズヌズが取り付けられていたのです。
また、戦闘の安全を保証することに加えて、ヌズヌズは水難事故を防ぐと信じられていました。ソロモンではケソコという水の霊が信仰されていました。ケソコは風や波を引き起こし、乗組員を食べてしまいます。そんな恐ろしいケソコを寄せ付けないために、ヌズヌズはトモコの先端に取り付けられていたのです。
ヌズヌズの顔は怖いですが、この歴史背景を知ればこの顔にも頷けますよね…。
何度見ても怖い…。ですが、最近は優しい顔のヌズヌズも増えてきているそうです。
ちなみにヌズヌズが取り付けられていた戦闘用カヌー「トモコ」も現代では2020ソロモンカップで初優勝したウェスタン州の代表サッカーチームの名前になっています。
さて、そんな戦闘遠征時に用いられていたヌズヌズですが、19世紀末から20世紀初頭にかけて使われることが少なくなりました。部族間の戦闘が少なくなったからです。イギリスによる植民地化、そしてキリスト教の布教がソロモンの部族間闘争に終止符を打ったと言われています。それ以来、ヌズヌズはソロモンを象徴する場でしか見られなくなりました。身近な例として、祭りで祀られたり、ソロモンの1ドル硬貨にヌズヌズの姿を見ることができます。
ちなみに、クイズの答えは4、ケソコです。
正解できましたか〜?
今日では様々な種類のヌズヌズをソロモンでは見ることができます。地域によっての特色もあるみたいですよ!首都ホニアラでは、アートギャラリー、ホニアラ市場、メンダナホテルなどで購入できます。
ソロモンを訪れた際には、お気に入りのヌズヌズを探してみてはいかがでしょうか!!
(文/山中清太朗、編集/馬場千智)
参考文献
https://www.solomontimes.com/news/the-nguzu-nguzu-western-province-symbol/2630
https://discovery.ucl.ac.uk/id/eprint/1305320/1/1305320.pdf
http://www.jiten.info/dic/nuzunuzu.html
https://ameblo.jp/one-world-123/entry-10952047781.html
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2014/12/post.html
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/309868
https://minpaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=2265&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1
https://en.wikipedia.org/wiki/Tomako
ソロモンの絶景1 ワールドディスカバラー
すごい景色ですね。
ソロモン諸島には太平洋戦争時の船がたくさん沈んでいますが、こちらは座礁したクルーズ船ワールドディスカバラーです。
1974年頃に建造されたこの船は、氷山のクルーズができるようにデザインされており、南極地域のクルーズなどに使われていました。
主に南半球の夏にあたる11月から2月、南極大陸からチリ、アルゼンチン、パタゴニアなどを巡航していたそうですが、3月から5月の間には南太平洋の島々を周っていたそうです。そしてまさに事件が起きたのは2000年の4月30日。ソロモン諸島クルーズ中に、フロリダ諸島の島々の間、Sandfly Passageというポイントにて、海図に載っていない岩礁に乗り上げ、傾いてしまいます。
首都から駆けつけたフェリーのおかげで乗客は無事救助されたため、幸いケガ人などは出ていません。
そして乗客避難後に、沈没を避けるべくロデリック湾に移動されています。
その後、オーストラリアからサルベージ専門の会社が現場調査にきていますが、結局回収はせずに帰ってしまったそうで、それ以来、船はこのまま置き去りになっています。これまでに重油漏れや汚染物質の流出は発見されていないとのこと。でも船体は錆びてきているし、海に影響はありそうで心配ではありますが...。
近くの住民はどう思っているのだろう…?という疑問も残りますが、今では観光名所の1つとなっていることもあり、悪いことばかりでないことを願います。
実際、ホニアラからボートで行けるのでアクセスも悪くありません。
「でも今ソロモン行けないじゃん」と思われた方、Google Mapに’MS World Discoverer’と打ち込んでみてください。
その船体を、なんと衛星写真でも確認することができます。
(文・早水綾野)
参考:
The Dead Cruise Ship World Discoverer - Incident Photo of The Week
WORLD DISCOVERER Shipwrecked in a remote bay of the Solomon Islands
Sandfly Passage, Solomon Islands Tide Station Location Guide
Sandfly Passage Map - Solomon Islands - Mapcarta
夜の海老狩り
ソロモン諸島には美味しい食べ物がたくさんありますが、海老もその1つ。
現地にいる間は伊勢海老と思い込んで食べていた、こちらの五色海老です。
(伊勢海老にも色々な色があるのかと思っており、すみません。)
鮮やかなブルーの魚が気になる...という方はぜひ以下ブログを参照のこと。
ソロモン諸島の食文化2 おさかな編 - ソロモン諸島政府観光局ブログ
海老ですが、町のマーケットで普通に売っています。
大きさにもよりますが、だいたい500円くらいからです。
おすすめの食べ方は、シンプルにただ焼くだけ!バターで焼くのもオススメですが、バターは冷蔵庫のあるスーパーでしか手に入らない点、申し添えます。
さて、せっかくソロモン諸島で海老を食べようということならば、「海老狩り」に行くこともできます。
これ、スリリングなことが好きな方には、すごーくおすすめです。
実は、魚や海老は就寝中が獲りやすいので、狩りは夜の海で行うのです。
私はウエスタン州のセゲ島で体験しました。
ゲストハウスのオーナーさんに「夜の海老狩り体験してみたい!」とリクエストし、その日の夜にオーナーさんのボートで、オススメのポイントに連れて行ってもらいました。
夜、真っ暗な時間、ボートで無人島付近まで移動します。
「この辺がいいよ」と、オーナーさんが言うので、勇気を出して、真っ暗な海に飛び込みます。
防水の懐中電灯を持って、真っ暗な海を進みます。
懐中電灯があるといっても、照らせるのは視界のほんの一部だけ。
ちょっと、いえ、けっこう怖いです。
「これじゃいきなり後ろからサメがきてもみえない...」と心配になりオーナーさんに質問した程です。
「シャークもクロコダイルも絶対にいないよ」とのこと。みなさまご安心を。
さて、お目当ての海老ですが、飛び出す槍のようなもので仕留めます。
長い棒で、パシっと引くと「シュン!」と槍が飛び出す道具があるのです。
魚や海老はたいてい、岩陰で寝ています。
なので岩陰の隙間にそーっと懐中電灯の灯りを照らし、「いた...!」と思ったら、パシっ!とやります。
しかし...これがなかなか難しい。見つけてもなかなか命中しないのです。
日本人4人で行きましたが、全員収穫ゼロ。
ところが、ついで感覚で自分もやっていたオーナーさんが、なんと仕留めちゃいました!さすが!!
翌日、これを有難くいただきました(笑。
オーナーさんいわく、「この日は月が明る過ぎたから、難しかったよ」とのこと。
月が明るい日は、魚も海老もより暗い場所を探して、岩陰の奥の方に隠れるのだそうです。
日頃何気なく食べている食材も、自分で育てたり、獲ったりすると、どんな苦労の上にそれを味わうことができているのか、実感することができますね。
面白そう!やってみたい!と思ってくださった方へ。
ソロモンに「公式な」夜の海老狩りツアーはないかもしれません。
でもぜひ来られた際には、やりたいことをゲストハウスのオーナーさんに相談してみてください。
「じゃあ連れてってあげよう」となることも多いはず。
実際、ソロモンでは夜の魚・海老狩りはその業界の人だけがやっていることではありません。
村人はお祝いのときなどに、貴重な現金を使い、ボートのガソリンと懐中電灯の電池を購入し、夜の海へ繰り出したりします。
観光業が成熟していないからこそ楽しめることがあります。
ぜひ、能動的な旅を楽しんでみてください。
(文・早水綾野)