ソロモン諸島政府観光局ブログ

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欧米人によるソロモン諸島の発見

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ソロモン諸島が欧米人に初めて発見されたのは1568年です。発見したのはスペイン人アルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラです。

 

メンダーニャは1567年11月20日、2隻の船に、船乗り、兵士、奴隷、サンフラシスコ協会の兄弟4人など約150人を乗せてペルーを出発しました。目的はTerra Australis Incognita(未知の南方大陸)を発見し、植民地化の可能性を探ること、インカの伝説が残っている島を発見することでした。Terra Australis Incognitaは南太平洋に存在しソロモン王の金鉱があると考えられていた大きな大陸のことです。

 

彼らはまずツバルを発見した後、1568年2月7日にソロモン諸島のサンタイザベル島を発見、その数日後に上陸しました。彼らはこの島に金があると信じ、伝説のソロモン王の金鉱、聖書の中にある金の島にちなみ「Islas Salomón(ソロモン諸島)」と名付けました。またイザベル島は彼の妻、イザベルから由来しているという説もあります。

 

最初に上陸したサンタイザベル島において、ソロモン人と彼らスペイン人の関係は当初は良好でした。しかし、自給自足の生活を送っていたソロモン人は特に豚を中心とした新鮮な食糧と水を求めてくるスペイン人に対し次第に敵対心を持つようになり、対立が起きるようになりました。またある記述によると、ソロモン人がカニバリズムの慣習をメンダーニャに勧めたそうです。彼は断ったため関係が悪化したとも言われています。 その後、彼らはブリガンチンという二本マストの洋式中型帆船を作り、マライタ島やガダルカナル島など約20の島を探検し3月25日サンタイザベル島に戻りました。しかし食糧の交換問題は絶えず、ソロモン人との関係は複雑化していきました。

 

メンダーニャはそのような状況の中でさらに南に船を進めたかったようですが、1568年8月7日ペルーに戻ることが会議において決定され、彼らはマーシャル諸島ウェーク島を通過し、1569年1月末にメキシコに到着、7月にペルーに帰着しました。

 

この航海によりソロモン諸島が発見され、スペインは広大な南太平洋をペルーから航海する技術を手に入れました。しかし、結果的に多くの犠牲者をだし、金もスパイスもほとんど見つけることができず、キリスト教に改宗したソロモン人もいませんでした。

 

 

参考URL:

https://thecommonwealth.org/our-member-countries/solomon-islands/history

https://www.rnz.co.nz/collections/u/new-flags-flying/nff-solomon/about-solomonislands

https://en.wikipedia.org/wiki/Álvaro_de_Mendaña_de_Neira

https://es.wikipedia.org/wiki/%C3%81lvaro_de_Menda%C3%B1a

http://grandesviajeros-tiempodeviajar.blogspot.com/2017/11/alvaro-de-mendana-y-neira-1541-1595.html

 

(文/高松 優至)