ソロモン諸島政府観光局ブログ

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17、18、19世紀のソロモン人と欧米人の交流

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今回の記事は17、18、19世紀の欧米人とソロモン人の交流についてです。

前回の記事にあるように1595年のメンダーニャの2度目のソロモン諸島への航海の後もスペインは植民地化を目的に1605年にも船団を派遣しましたが植民地化は達成できませんでした。その後は欧米人の来訪の記録は減り、1767 年にイギリスのフィリップ・カートレットがサンタクルーズ島とマライタ島に到着し、1768年に現パプアニューギニアで太平洋戦争の激戦地であるブーゲンビル島の名前の由来になったフランス人ブーゲンビルがソロモン諸島を訪れたと言われています。1769年にはフランス東インド会社のサーヴィルがソロモン諸島に来訪しサンタイザベル島の北方でロヴァ・サラグアという名の男子を捕らえ、ヨーロッパに連れ帰りました。彼は初めてヨーロッパを訪れたメラネシア人と考えられています。1793年にはイタリアのベローナ商人のマシュー・ボイドがレンネル島とベローナ島を発見しました。

 

また18世紀末にシドニーがこの地域の貿易の中心地になったことで、ソロモン海を通る航路が一般的になり、1820年ごろには捕鯨船が食料や水の補給のためソロモン諸島に立ち寄るようになりました。1840〜50年代にかけては、カトリックの宣教師がサンタイザベル島やマキラ島、サンタクルーズ諸島のティコピア島を訪れるようになり定住するものも出てきました。ただ定住したのカトリックの宣教師であり、聖公会の宣教師は1893年まで定住しなかったそうです。

 

余談ですがこの頃日本は、みなさまご存知のように、1853年のペリー来航を経て1854年に200年以上に渡る鎖国を解いています。

 

ちなみに現在のソロモンにおける代表的な主食の1つがサツマイモでありソロモン諸島は一人あたりの年間サツマイモ消費量が世界一位と言われていますが、そのサツマイモがソロモン諸島で食べられるようになったのは1860年代であり、聖公会メラネシア宣教団によってニュージーランドから持ち込まれたと言われています。ソロモン人はサツマイモを「クマラ」と呼びますが、ニュージーランドでも同じように呼ばれています。

 

このようにソロモン諸島は19世紀頃にはキリスト教布教、捕鯨、交易を通して欧米人と様々な交流を持つようになりましたが、19世紀後半にはブラックバーディングと呼ばれる労働者狩りが行われるようになりました。これに関しては次回記事で書きたいと思います。

 

参考資料

Alasia, Ples Blong Iumi: Solomon Islands, the Past Four Thousand Years

https://es.wikipedia.org/wiki/Historia_de_las_Islas_Salomón

https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Solomon_Islands

 

(文/高松優至)