ソロモン諸島政府観光局ブログ

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ソロモンサッカー界の日本人レジェンド、渡邊和典さんとお話してみた!

こんにちは。大川良和です。
2020年5月にサッカージャーナリストの六川亨さんが、「超Worldサッカー」サイトで1993年のソロモン諸島取材の様子をアップしてくださいましたが、その中にこんな一節がありました。

「彼の名前は渡邊カズノリといい、なんとU-17ソロモン諸島の監督だった。北陽高校、大阪商業大(注)サッカー部出身で、卒業後は指導者と英語の習得を目指し、JICA(ジャイカ国際協力機構)の青年海外協力隊に応募してボランティア活動をしている。当時はソロモン諸島代表のコーチを務めながら、U-17代表の監督も任されたそうだ。」
https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=375162 より。
(注)ご本人より正しくは国際武道大学との訂正がありました

そのような方がいらっしゃるとは存じておりませんでした…………。

ということで、現地の友人に聞いてみると、
「ああ、知ってますよ。彼はソロモンサッカー界では伝説の人物ですよ。記事ではベスト4って書いてありましたけど、たしかソロモンチームはこのとき決勝までいってます。」
ですと。

そんなに!? それはいちど取材してみたいなぁ。

友人「えーっと、メルアドたしかあったはず」
大川「……。」

なんとまあ、あっさりメールアドレスをゲットしちゃいました。さっそく、おっかなびっくりメールを送ってみると、電話してもらっていいですよ、とのこと。そこで、プチ電話取材させていただきました!






渡邊和典さん。いまは奈良学園大学の職員だそうです。青年海外協力隊員(体育教師)として1992年7月に赴任した渡邊さんは、専門であるサッカーの指導者として、1995年1月に帰国するまでの間に、高校生チームを皮切りにU17代表、U20代表、U23代表の監督・コーチを歴任したとのこと。ちなみに帰国後は、日本国内でもサッカーの指導者として活躍、奈良産業大学奈良学園大学の前身)を率いて天皇杯にも出場した経験があるとのことです。サッカーはソロモン諸島ではナショナルスポーツともいえるもっとも盛んなスポーツで、オセアニア地域ではそこそこの強豪です。

そんな渡邊さんの目にソロモン諸島のサッカー選手はどんな風に映ったのでしょうか。

ソロモン諸島は個人ではけっこう才能豊かな選手がいるんですよ。クラブワールドカップだと、オーストラリア、ニュージーランドなんかの代表選手にソロモン人が名を連ねたりしてましたから。でもソロモンチームとしての集団行動には不慣れで、組織的なプレーはいまひとつ得意じゃありませんでした」


そうですよね~。ソロモンには87もの言語があって国としてのまとまりが弱く、人々は一般的に「ソロモン人」というよりも、各島やコミュニティへの帰属意識が高いと言われています。そのため、ナショナルチームを作っても、コーチが自分の島の選手を優遇したりして連携がとれず、個々の才能を十分発揮できないことが多いと聞いていました。

「自分が監督をしていたときには、そのあたりは公平に、実力主義で選手を扱って、選手たちもまたよく『チーム』というものを理解してくれたんで、チームとしての団結力は強かったと思います」


なるほど、ここらへんがコーチの技量ですね。去年のラグビーの「ワンチーム」を思い出します。本当に決勝まで?

「ええ。準決勝で2-1でニュージーランドに勝って、史上初の決勝進出を果たしました。でも残念ながら決勝では当時はまだオセアニア地区に入っていたオーストラリアに0-3で負けて、優勝はできませんでした」
(注:いま日本と同じアジア地区に加盟しているオーストラリアは、2005年まではオセアニア地区に籍を置いていた)

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1993年ソロモン諸島U-17代表チームの勇姿(ソロモン諸島の国立競技場「ローソン・タマ・スタジアム」にて)


そうかぁ、初めてニュージーランドに勝ったんだ。いい勝負まではできても、結局はかないっこないと思われていたニュージーランドに勝ったことは、ソロモンの選手たちに大きな自信を与えたはず。
なんでも負けたニュージーランドの監督はアシュヘッドさんという方で、W杯で代表チームを指揮したこともある名監督だったそうだ。

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当時の渡邊監督


でも、聞くとそれ以上に渡邊監督の取組みで重要だったのは、ソロモン諸島で初めて「キッズアカデミー」を立ち上げて、選手の底上げに取り組んだことだそう。子どもの頃からきちんとサッカーの基礎を学ぶ機会を作ったことで選手の意識も高まり、ソロモン諸島のサッカー界が全体として次の段階に進む大きな原動力になったそうだ。

当時渡邊監督の指導を受けた選手たちはその後のソロモン諸島サッカー界を支え、現在の連盟幹部や各カテゴリー指導者の多くは渡邊監督の門下生だとか。なるほど渡邊監督がソロモンでは「レジェンド」って言われるわけだ。いやぁ、知りませんでした。でもなんかそんな日本人がいたなんて、嬉しい気持ちです。



来年行われるフットサルのワールドカップに、ソロモンチームはオセアニア代表として2大会連続での出場が決まっています。サッカーではまだワールドカップには届いていませんが、いつか日本代表と戦う日が来ないかな、とプチ期待しています!

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2017年、22年ぶりに訪れたホニアラで当時の仲間や教え子らと(中央)


(文/大川良和、写真提供/渡邊和典)