ソロモン諸島政府観光局ブログ

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『大海原のソングライン』に寄せて――チャールズ・マイマロシアの思い出とアレアレの竹製パンパイプ

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今回、『大海原のソングライン』公開を記念し、ソロモン諸島のアレアレ地区や竹製楽器パンパイプの研究に長年携わっておられる文化人類学者の佐本英規さん(広島大学 大学院人間社会科学研究科 助教)に特別にご寄稿をいただきました。
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以下より記事

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ピピス村から内海を望む


 『大海原のソングライン』という映画をみた。もともとのタイトルは、『小さな島、大きな歌(Small Island Big Song)』。台湾やボルネオ、ヴァヌアツといったいくつもの「小さな島」をめぐり、島々の情景のなかで歌い奏でる地元ミュージシャンたちの音楽を重ね合わせ、映画全体を通してひとつの「大きな歌」を響かせるという趣向の音楽映画だ。島々の音楽をめぐる旅は、大陸沿岸部から東南アジア島嶼域をへて太平洋の島々へと数千年をかけて移動したとされる島嶼民たちの、人類史上の航海に見立てられている。ひとつの大きな旅路へと紡がれる島々の情景と多彩な音楽は、この映画をみる人にとって、人類の多様性への思いを新たにさせるとともに、音楽を通してひとつに結ばれた人類の共同性をもイメージさせるだろう。そうしたイメージが、気候変動や海洋汚染への警鐘という、この映画のもうひとつのメッセージをささえている。制作者と出演者の熱意にあふれた映画だ。


 実はこの映画には、私の個人的な知り合いが出演している。ソロモン諸島出身のミュージシャンとして登場するチャールズ・マイマロシア。マライタ島南部のアレアレと呼ばれる地域で生まれ育った彼は、音楽活動のためにオーストラリアへと移り住み、いまはメルボルンで暮らしている。映画のなかで彼は、アレアレの森とどことなく雰囲気の似たメルボルン熱帯雨林で、アレアレ語の歌と、アレアレ語でアウと呼ばれる竹製パンパイプの演奏を披露する。マイマロ――アレアレで彼はそう呼ばれていた――がかつて暮らしたピピスという海沿いの村も、三方をマングローブと鬱蒼とした熱帯雨林に囲まれていた。森のなかの畑でヤムイモやタロイモを育てる村の人びとは、毎日のように森と村とを行き来しながら生活を送るものだ。アレアレを離れるまでのマイマロの生活もそう。メルボルンに暮らす今の彼にとって、熱帯雨林は懐かしい場所だろう。

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アレアレラグーンの熱帯雨林


アレアレでは大小さまざまな竹筒を筏状に結わえたアウの合奏が盛んだ。かつてのアレアレでは、故人や先祖を顕彰する祭宴や仲間の一人を村の長として承認する儀礼などでアウが演奏された。ほとんどの人がキリスト教徒になり、死者のための祭宴も村の長のための儀礼もめったに行われなくなった今のアレアレでは、かわりにキリスト教の祭礼や地域のサッカー大会などのイベントでアウが演奏される。首都で催される観光ショーや海外の音楽イベントに出演して現金収入を得る人たちもいる。演奏の機会や目的、聞き手のタイプや好みが変わり、教会で歌われる賛美歌や海外のポピュラー音楽などの影響もあって、アウの演奏スタイルは近年どんどん変化している。マイマロは、そうした変化するアウのこれからを担うひとりだ。

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アレアレの竹製パンパイプ(1)


私がマイマロの姿を初めて目にしたのは、2009年にアレアレのある村で催された小さな診療所の開設セレモニーのときだ。マイマロは、ナラシラトという地元のアウの演奏グループの一員として歌っていた。今になって思うと、そのころ彼はすでに、それまで一緒に活動してきたナラシラトとの関係に区切りをつけ、伝手を頼ってオーストラリアで音楽の勉強を始めようとしていたのだろう。しばらく後にマイマロは、アウを携えてメルボルンへと移住した。それ以降、私がマイマロに会ったのは、2012年に彼がソロモン諸島に一時帰国したときのいちどきりだ。その後、私とマイマロとはごくまれにSNS上でメッセージを交わすだけになっていた。私は、『大海原のソングライン』のなかのマイマロの姿を眺め、彼の歌うアレアレ語の響きとアウの音色に耳を傾けながら、アレアレの村で歌う若かった彼の姿を思い出し、ひさしぶりに彼と連絡をとろうと思った。


マイマロとの個人的な思い出にひたりながら、あらためて『大海原のソングライン』のことを考えている。マイマロがそうであるように、映画に登場する島々のミュージシャンひとりひとりに、それぞれの人生があり、生活があり、物語があるのだろう。環境問題も、人類の航海も、音楽を通した人びとのつながりも、それらとは別の物語だ。この映画は、おそらく制作者の意図を越えて、「小さな島」に生きる人びとそれぞれの、私たちがまだ知らないたくさんの人生の物語を想像させてくれる。あらためて、制作者と出演者の熱意にあふれた良い映画だ。

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アレアレの竹製パンパイプ(2)


ところで、今年4月にアレアレ沿岸で貨客船の転覆事故が起き、乗り合わせた乗客のうち28人が亡くなった。犠牲者の多くは、都市部での新型コロナウイルス感染症の将来的な流行の可能性を危惧して、首都ホニアラからアレアレの村へと帰省しようとしていた学生や子どもたちだったという。私の身近なところでも、知人の弟がひとり亡くなっている。マイマロの身内にも、いくにんかの犠牲者がいたと聞く。ただただ悲しい出来事だった。
(文・写真 佐本英規)